【Flower Stories#029】OTAKSA

シーボルトが後世に
名を残そうとした花の物語



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シーボルトが愛した女性の名OTAKSA

長崎出島の三学者の一人、シーボルト。
知っていらっしゃる方、たくさんいらっしゃると思います。
ドイツ出身の医者であり、博物学者である彼は、日本との貿易のため日本の情報を得るため、オランダ人ということにして、日本の出島にやってきたとも言われています。

日本では、西洋医学の教育を行い、数多くの医者や学者に多大な貢献をします。また、同時に日本の文化の研究を行い、1825年には出島に植物園を作り、1400種以上の植物を栽培、植物の研究にも多くの業績を上げました。

来日後、日本の女性を愛することとなります。
その女性は「楠本滝(くすもとたき)」。長崎円山の遊女、とされていますが、一説によると、出島に出入りするには遊女である必要があったため、シーボルトと逢うために遊女の肩書にしたとも言われています。

シーボルトは、医学の教育の傍、日本の文化を研究し、多くの学者らと情報交換を行っていました。最新の世界地図と最新の日本地図を交換したり…。1827年には、二人の間には可愛い娘イネを授かり、家族、仲睦まじく出島で暮らします。

1828年、コレクションの整理のため、帰国命令を受けたシーボルトは、日本で収集した品々をまとめ、帰国の準備をしていると、いきなり幕府に捕らえられてしまいます。
理由は、情報交換をしていた時に手に入れた最新の日本地図や徳川家の御紋入り羽織などを含む一部の品々は持ち出し禁止だったから、、、。
さらにそれらの情報交換に関与した日本人たちは処罰されてしまうのです。

シーボルト事件

世にいう「シーボルト事件」です。
シーボルトは情報収集に協力してくれた日本人が処罰されていることに心を痛め、帰国せず、日本に居座るから許してあげてほしいと訴えますが、訴えは却下され、品物は没収、1830年シーボルトは国外追放、再渡航禁止となってしまいました。

いよいよ出発の時。
オランダ船が長崎港外の小瀬戸にさしかかったときのこと。
お滝は幼いイネを背に小船に乗って、シーボルトの乗るオランダ船を見送ったといいます。
シーボルトの乗った船が見えなくなるまで。

オランダに戻る途中、シーボルトはお滝に3通の手紙を送り、その返書として、お滝は全長3.4mの長文で、娘イネのこと、シーボルトへの想いがびっしりと記されていました。
シーボルトにとってお滝の存在は唯一で、生涯の妻として考えていたようで、両親にあてた手紙には、「お滝さん以外の女性を妻にすることはない」と綴っていたそうです。

さて、シーボルトがオランダに持ち帰った花の中に、そんなお滝の名がついた花があります。
Hydorangea otaksaといいます。
ハイドランジア。「アジサイ」です。もちろん、この名を付けたのはシーボルトその人。離れ離れになった後も、お滝のことを愛し続け、決して忘れることはなかったといいます。ちなみにお滝の方は、親戚の勧めで致し方なく再婚することに。ただ、そのことを伝えるため、シーボルトに送った手紙には、自身の肖像を蓋に描いた煙草入れが添えられてあり、お滝もシーボルトに忘れてほしくないという思いがあったのでしょう。

otaksaの学名は、同種が別名で既に登録されていたことから、現在は残っていませんが、シーボルトの、お滝への想いが詰まった日本原産のアジサイは、その後、ヨーロッパで盛んに品種改良され、現在、西洋アジサイとして多くの人を魅了しています。

と美談として語り継がれるこのお話ですが、学者の界隈にとっては、かなり不評だったようで、日本植物学の父「牧野富太郎」は、「神聖なる学名に自分の妻の名をつけるなんてありえない!」と激しく非難したとのこと。名付けた本人にとっては、その名を残せるということで満足かもしれませんが、全く関係のない人にとっては、なんのこっちゃということでしょうね。世の中全ての人に平等に愛される名前でなくてはならないわけです。

Tomitaro Makino【牧野富太郎(壮年)】

現在、舞台となった長崎では、市の花をアジサイ、紫陽花とかいて「おたくさ」と呼び親しまれているそうで、学名には残りませんでしたが、今もなおシーボルトの想いは人々の中に残り続けています。

渡航禁止になってから25年以上の歳月が経過し、ようやく渡航禁止令が解除されることになります。その時、日本ではシーボルトの孫も生まれていたそうで…。それはこちらのストーリーで…。 【FLOWER STORIES#030】OTAKSA~シーボルト、嫁と娘と孫娘

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